画家・伊東雅江さんの2015年10月の「鎌倉カレンダー」より。
鎌倉駅東口からバスに乗り、鎌倉宮で下車。西側に向かうとその奥に覚園寺のある薬師堂ヶ谷の谷戸があり、100mほど行くと右側に、詩人蒲原有明の旧居跡の文学碑が建っています。
蒲原有明は明冶9年生まれの象徴主義詩人です。大正8年に鎌倉に移り、新居をこの地に建てるも12年に関東大震災に遭い、住居を手入れし貸家にして静岡へ転居します。貸家は昭和12年から川端康成が居住しており、静岡で被災後昭和20年に蒲原が鎌倉に戻った時、その家の一部六畳ー間を借りて住まったようです。川端は蒲原の持ち家とは知らずに住んでいたようで、鎌倉に戻った蒲原を快く迎え入れました。その感謝の気持ちもあって、大切にしていた青木繁の『海』(現在は大原美術館所蔵)を川端に譲ったと言われています。蒲原は青木繁の代表作『海の幸』に感動し、自身の詩集の装丁も依頼しています。
現在旧居跡の場所はお孫さんがお住まいで、お庭には大きな槇の木が当時のまま立っています。有明の著書『夢はよび交す』に登場するお庭には、槇の木のほか、小さな実のついたざくろ、梅、かえで等の老木が、大切に残されています。また有明の愛用の品だったという青い火鉢が置かれていて、その中に睡蓮の花が浮かんでいました。黒い猫を愛育していたことや、来客にはいつも若宮大路の夫婦饅頭を茶菓に出していたことなど、お身内ならではのお話を聞かせて頂きました。その折に見せていただいた当時の写真とお話から蒲原有明の家を絵に描きました。
<絵/文 伊東雅江>
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