現在の鎌倉らしさの源となる「ちょっと昔のまちの記憶」を集めています。

松竹大船撮影所
この建物はかつて大船撮影所の門を入るとすぐに見えた建物です。写真を参考に調べて描きました。これは大船田園都市構想を推進した渡辺銀行の渡辺六郎氏の邸宅を移築した建物で、撮影所開所当時は所員の親交を深めるクラブとして使用され、後にも宣伝部、スチ...

かまくらの すてきな たてもの の えほん
かまくらのすてきなたてもののえほん 鎌倉市景観重要建築物等 絵で見る図鑑[鎌倉駅周辺エリア]伊東雅江さんによる冊子「かまくらのすてきなたてもののえほん」は、これまでに[長谷エリア][鎌倉駅周辺エリア][由比ヶ浜エリア]が発行されています。鎌...

鎌倉玉縄のちょっと昔のお話
鎌倉の玉縄で生まれ育ったおじいさんが、子どもの頃の暮らしをお話ししてくれました。紙芝居は画像クリック(タップ)でご覧ください。連続して読めます。おはなし/石井博1927年 鎌倉市関谷に代々続く農家に生まれる。玉縄小学校出身。国鉄に勤務し退職...

ユリと玉縄小学校のお話
鎌倉市内のあちこちでたくさん見られるユリの花。明治時代にできた、ユリと小学校のつながりのお話。紙芝居は画像クリック(タップ)でご覧ください。連続して読めます。

ユリ畑とユリ御殿
「海を渡った鎌倉のユリ 明治・大正期のユリ球根の栽培と輸出」展示会の会期中に伊東雅江さんが描いた、ユリ畑の向こうにユリ御殿がある絵です。

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その1)
ヤマユリゆり御殿とユリ球根の輸出鎌倉市玉縄地域にある我が家の庭では、植えてもいないのに、毎年ユリがさきます。ご近所の立派なお屋敷は、「ゆり御殿」と呼ばれています。ユリ御殿って…ナニ???鎌倉に古くから住まいの方から教えていただきました。「あ...

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その2)
キリスト教と白百合受胎告知 レオナルドダビンチキリスト教のシンボルで宗教行事を飾る聖なる花、白いユリ。聖母マリアのシンボル「マドンナ・リリー」として熱望されながら、ユリは欧米での栽培には風土的になじまなかったようで、ほとんど自生できませんで...

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その3)
ユリ貿易の拡大明治・大正期の横浜港では、ユリ球根はシルク、お茶に続く輸出品となり、最盛期には4000万箱ものユリ球根が海を渡りました。日本から送った球根は栽培するとちょうどイースターの頃に咲きます。明治初めころに愛好された山ユリは山採り(山...

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その4)
玉縄村のユリ栽培明治45年の書籍「神奈川県に於けるゆり根栽培」には、県内の主なゆり根(ユリ球根)産地として、「鎌倉郡玉縄村」の名前がまず挙げられています。市内に伝わる数々の農業日記からも、やはり玉縄村、十二所、大船でも 明治20年ごろからは...

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その5)
県立大船フラワーセンターユリ球根の輸出は、第2次世界大戦で途絶えました。戦後の昭和20年代に輸出はようやく再開します。以前ほどの勢いはないものの、神奈川県のユリ球根栽培も津久井郡や高座郡(茅ヶ崎周辺)を中心に動き出します。昭和30年代になる...