明治・大正期の海を渡った鎌倉のユリ(前編)

札幌市の百合が原公園に管理事務局を置くユリ協会では、全国のユリ愛好家や研究者が会員となり、ユリの保護、育成、頒布などを行っています。

その機関誌である「ユリ協会NEWS」の38号(2025年11月発行)にコソガイの入江が寄稿しました。以前のユリ連載記事をまとめて、その後にわかったことを追加しています。これを前後編の2回に分けて全文公開いたします。


わたしが鎌倉に引っ越して、ずいぶん経つ。いつのころからか、この街にユリの花が多いことに気が付いた。夏になると路傍、山の斜面、川の土手いたるところに気さくに咲いている。どうしてこんなに多いのか…。

近所に古くから住む園芸好きの方に伺うと「角田さんというお家の先々代がユリを栽培して輸出をしていたのよ。大船観音そばの立派なお屋敷は『ユリ御殿』とよばれていたの。」

はて?ユリの輸出ってナニ? 花に詳しい訳ではなかったが調べてみることにした。

ヤマユリ
ヤマユリ

明治から日本がユリの球根を大量に輸出をしていたことはすぐわかった。国立公文書館のサイト(https://www.archives.go.jp/)に、横浜港から欧米に向け観賞用ユリ球根の輸出についての記事があった。それだけ重要な産業だったのだろう。

受胎告知
マティス「受胎告知」のマドンナリリー

他の花ではなく、ユリでなければならない理由はキリスト教にある。ユリ、特に白いユリは聖なる特別な花として、結婚式、葬儀、ミサに飾られるのだ。聖母マリアのシンボルともされ、ダビンチなどの絵画でも聖母とユリは重要なモチーフとして繰り返し現れる。

しかしユリは欧米ではほとんどの場所で自生できない。風土的に根付かないのだ。戦前まではユリ球根は輸入が主流だった。その産地はシリア、パレスチナ、エジプトなど。キリスト教の発祥に近い地から来る高価な花だった。

一方、日本のユリはあたりまえに野に咲く花。幕末にシーボルトが日本の植物の種子や球根などをヨーロッパに持ち帰り、カノコユリを紹介すると「ルビーやガーネットのように美しい」と、たいそうな評判になった。

そこから流出した球根はロンドンのオークションで1球根50ポンド(今だと300万円ぐらい?)の値がついたそうだ。日本の野に咲くユリがヨーロッパを「魅了し、熱狂させた」のだ。日本人としてけっこうウレシイ。

当時の植物誌

幕末に横浜港が開港すると、明治20年ごろにはユリ球根の輸出も始まっていた。なかでも英国人アイザック・バンティングは実家が養樹園を営み進取の気性に富んでいた。来日すると、美しいユリを求めて沖永良部島(おきのえらぶじま)に命がけでたどり着き、テッポウユリの群生を発見。横浜にアイザック・バンティング社を立ち上げて横浜港から故郷の英国に向け輸出を始めた。

バンティング
アイザック・バンティング

ユリ輸出が本格的になるとヤマユリ・テッポウユリ等は欧米で復活祭の頃咲く聖花としてイースターリリーと呼ばれ重用された。バンティングは沖永良部島産を「エラブユリ」として英国に紹介、高い評価を得た。輸出により島は大いに潤い、現在でもユリ栽培は有力な産業として続いている。

テッポウユリ
エラブユリ

実は地域の資料から、鎌倉の玉縄地域周辺で栽培されたユリ球根の多くを輸出したのは、親子2代にわたるこの「アイザック・バンティング社」だということが分かった。英国では彼の同族会社「バンティング社」がロンドン近郊で球根を販売し、教会や王室など有力顧客に納めていた。

1910年(明治40年)ごろのアイザック・バンティング社のカタログによるとイギリスでは、Sサイズのテッポウユリ球根は現在の価格で1株1万円ぐらい、黄鹿子ユリの大型球根が1株約10万円で売買されていたようだ。ユリ・バブルがあったことがうかがえる。

明治22年に日本の商社・新井清太郎商店がユリ球根の輸出を始め、翌年には横浜植木株式会社が創業。同社はニューヨークやロンドンなど欧米に支店を開店。大正に入ると坂田農園(現サカタのタネ)も参入。商社や種苗会社などの参入も増え、園芸貿易を拡大して貴重な外貨をもたらした。

ヤマユリ版画
横浜植木カタログ

輸出のために横浜植木が出した花卉カタログは多色刷り石版画で日本の植物の美しさや多様さを伝え、球根とともに欧米を魅了した。わたしはこの大正元年版カタログを数年前に入手した。国内の栽培家、愛好家に向けたものだが、多色刷りの息をのむような美しい画面で32種類が紹介されている。この多様さと美しさは衝撃だった。カタログは現在の日本人をも魅了するのだ。

そしてユリは日本の企業の貿易や園芸の技術を培い、名前を挙げた3社はユリ栽培自体はやめてしまったものの、今でも横浜で種子や球根の貿易にかかわってりっぱに存続している。

明治・大正期の横浜港では、ユリ球根が生糸や絹織物、お茶に続く輸出品となり、戦前の最盛期には年間約4000万もの球根が海を渡り、欧米の教会や宮殿、植物園、貴族の城を飾った。ロンドンには日本のユリが咲く公園も作られた。日本のユリは当時の絵画やティーカップにも繰り返しモチーフとして描かれており、関心の高さがうかがえる。

Carnation, Lily, Lily, Rose
ジョン・シンガー・サージェント
「カーネーション・リリー・リリー・ローズ」

後編では、鎌倉におけるユリ栽培と輸出の歴史、ユリが地域にもたらした数々の影響について、解説します。

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