ユリの話

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その2)

キリスト教と白百合 受胎告知 レオナルドダビンチ キリスト教のシンボルで宗教行事を飾る聖なる花、白いユリ。聖母マリアのシンボル「マドンナ・リリー」として熱望されながら、ユリは欧米での栽培には風土的になじまなかったようで、ほとんど自生できませ...
ユリの話

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その3)

ユリ貿易の拡大 明治・大正期の横浜港では、ユリ球根はシルク、お茶に続く輸出品となり、最盛期には4000万箱ものユリ球根が海を渡りました。日本から送った球根は栽培するとちょうどイースターの頃に咲きます。 明治初めころに愛好された山ユリは山採り...
ユリの話

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その4)

玉縄村のユリ栽培 明治45年の書籍「神奈川県に於けるゆり根栽培」には、県内の主なゆり根(ユリ球根)産地として、「鎌倉郡玉縄村」の名前がまず挙げられています。 市内に伝わる数々の農業日記からも、やはり玉縄村、十二所、大船でも 明治20年ごろか...
ユリの話

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その5)

県立大船フラワーセンター ユリ球根の輸出は、第2次世界大戦で途絶えました。戦後の昭和20年代に輸出はようやく再開します。以前ほどの勢いはないものの、神奈川県のユリ球根栽培も津久井郡や高座郡(茅ヶ崎周辺)を中心に動き出します。 昭和30年代に...
この企画について

鎌倉・まちの記憶を伝える会

鎌倉には、明治・大正・昭和の暮らしや施設、出来事が今もあちこちに名残をとどめています。 わたしたちは、現在の鎌倉らしさの源となる「ちょっと昔の鎌倉」を調べ、展覧会やワークショップなどいろいろな手法で伝える活動をしています。 この会は、イラス...
展示

追憶の鎌倉海浜ホテル

明治20年、由比ヶ浜の松林に「鎌倉海浜院」が建てられると(1年後ホテルに)、鎌倉はその温暖な気候を利用した「療養と海浜保養」の別荘地として知られるようになりました。海浜ホテルの周辺では政財界の名士が交流し、海外の文化や習慣を体験した人々が華...
展示

追憶の鎌倉海浜ホテル2

鎌倉の「ちょっと昔(明治・大正・昭和)の人の暮らしや施設、できごと」。その名残はまちのあちこちで見られます。 わたしたちは現在の鎌倉らしさのモトでもある近代をしらべ、いろいろな手法で伝える活動をしてきました。 今回の企画は、鎌倉市中央図書館...