杉本観音

杉本観音

二階堂にある大蔵観音堂が、火事に見舞われたときのことです。ご本尊の観音像3体のうち、2体は寺の人が背負ってなんとか助け出しました。

ところが1体は見当たりません。村人が探すと、境内の大杉の根元に観音さまがいらっしゃいました。どうやら自ら動いて火を避けられたようでした。それからは「杉の本の観音」と呼ばれ、お寺の名前は「杉本寺」になったということです。

絵/渋谷雅子
お話/コソガイ

杉本寺の縁起では、観音像は3体とも杉の木の下に避難したとされています。

歴史書『吾妻鏡』によると、この火事は文治5年(1189年)11月23日に起きたもので、別当(管理者)の浄台房が炎に飛び込んだが、観音経の功徳なのか衣をわずかに焦がしただけで無事に本尊を持ち出した、と記されています。

杉本寺(すぎもとでら) 鎌倉市二階堂903

杉本寺は、奈良時代の天平6年(734年)に行基が開いたとされる、鎌倉最古の寺院です。苔むした鎌倉石の石段、本堂と山門の茅葺屋根が歴史を感じさせ、大蔵観音、杉本観音と呼ばれ親しまれています。山門の仁王像は運慶の作と伝えられています。

ご本尊は3体の十一面観音像です。そのうち1体は行基の作で、寺の前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬するので「下馬観音」と呼ばれました。建長寺の蘭渓道隆(大覚禅師)が袈裟でお顔を覆うと落馬する者はいなくなり、「覆面観音」とも呼ばれています。

ご本尊は秘仏となっており、御前立(本尊の身代わりに拝む仏像)として源頼朝が寄進した十一面観音像(運慶作)が安置されています。

頼朝はこの杉本寺をよく信仰しており、火事の2年後に訪れて、荒れ果てた様子に心を痛め修理費用を寄進したそうです。その後、娘・大姫の病の平癒祈願にも参拝しています。

文/コソガイ

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