もうずいぶん前のお話です。建長寺の三門はすっかりさびれていました。再建のために、万拙(ばんせつ)という和尚さんが一生懸命に托鉢し、工事のためのお金を集めていました。
建長寺の裏山のたぬきたちは熱心な和尚さんに感動し、自分たちもお手伝いをしたいと、和尚さんに化けて托鉢することにしました。
たぬき和尚たちは山をこえて町や村へ。ずいぶん遠くまで托鉢して寄付をもらいました。
こうして集めたお金や食べ物を、たぬきたちは、三門の前にどっさりおいていきました。万拙和尚さんのよろこんだことといったら!
三門はたいそう立派に再建されました。その時のたぬきたちの働きに感謝を込めて、今でも建長寺には「たぬき和尚」の話が伝えられています。
絵/渋谷雅子
お話/コソガイ
三門は禅宗寺院の入り口、三解脱門(さんげだつもん)の略です。現在の建長寺三門は、江戸時代の安永4年(1775)に、第201世住職の万拙碩誼(ばんせつせきぎ)和尚の尽力で再建したものです。狸たちは、三門完成の前に亡くなった万拙の遺志を継いだとも言われます。
たぬき和尚が旅をしたとされる関東一円に、少しずつ違うお話が伝わっています。泊まった先で食事や風呂の様子を怪しまれ、最後は犬にかみ殺されてしまったパターンが多いようです。
また、今でも各地にたぬき和尚が揮毫(きごう)したという「書」や「絵」の実物が残っています。けんちん汁の作り方を伝えたという話もあります。
建長寺(けんちょうじ) 鎌倉市山ノ内8
現在の山門の様子は、関連記事をご覧ください。
別パターンのお話も掲載しました。
文/コソガイ
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