まちと暮らし 鎌倉玉縄のちょっと昔のお話 鎌倉の玉縄で生まれ育ったおじいさんが、子どもの頃の暮らしをお話ししてくれました。 紙芝居は画像クリック(タップ)でご覧ください。連続して読めます。 おはなし/石井博 1927年 鎌倉市関谷に代々続く農家に生まれる。玉縄小学校出身。国鉄に勤務... 2022年09月22日 まちと暮らし
ユリの話 ユリと玉縄小学校のお話 鎌倉市内のあちこちでたくさん見られるユリの花。明治時代にできた、ユリと小学校のつながりのお話。 紙芝居は画像クリック(タップ)でご覧ください。連続して読めます。 2020年12月07日 ユリの話
ユリの話 明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その1) ヤマユリ ゆり御殿とユリ球根の輸出 鎌倉市玉縄地域にある我が家の庭では、植えてもいないのに、毎年ユリがさきます。 ご近所の立派なお屋敷は、「ゆり御殿」と呼ばれています。ユリ御殿って…ナニ??? 鎌倉に古くから住まいの方から教えていただきまし... 2020年09月18日 ユリの話
ユリの話 明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その2) キリスト教と白百合 受胎告知 レオナルドダビンチ キリスト教のシンボルで宗教行事を飾る聖なる花、白いユリ。聖母マリアのシンボル「マドンナ・リリー」として熱望されながら、ユリは欧米での栽培には風土的になじまなかったようで、ほとんど自生できませ... 2020年09月18日 ユリの話
ユリの話 明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その3) ユリ貿易の拡大 明治・大正期の横浜港では、ユリ球根はシルク、お茶に続く輸出品となり、最盛期には4000万箱ものユリ球根が海を渡りました。日本から送った球根は栽培するとちょうどイースターの頃に咲きます。 明治初めころに愛好された山ユリは山採り... 2020年09月18日 ユリの話
ユリの話 明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その4) 玉縄村のユリ栽培 明治45年の書籍「神奈川県に於けるゆり根栽培」には、県内の主なゆり根(ユリ球根)産地として、「鎌倉郡玉縄村」の名前がまず挙げられています。 市内に伝わる数々の農業日記からも、やはり玉縄村、十二所、大船でも 明治20年ごろか... 2020年09月18日 ユリの話
ユリの話 明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その5) 県立大船フラワーセンター ユリ球根の輸出は、第2次世界大戦で途絶えました。戦後の昭和20年代に輸出はようやく再開します。以前ほどの勢いはないものの、神奈川県のユリ球根栽培も津久井郡や高座郡(茅ヶ崎周辺)を中心に動き出します。 昭和30年代に... 2020年09月18日 ユリの話
展示 追憶の鎌倉海浜ホテル 明治20年、由比ヶ浜の松林に「鎌倉海浜院」が建てられると(1年後ホテルに)、鎌倉はその温暖な気候を利用した「療養と海浜保養」の別荘地として知られるようになりました。海浜ホテルの周辺では政財界の名士が交流し、海外の文化や習慣を体験した人々が華... 2011年09月01日 展示
展示 追憶の鎌倉海浜ホテル2 鎌倉の「ちょっと昔(明治・大正・昭和)の人の暮らしや施設、できごと」。その名残はまちのあちこちで見られます。 わたしたちは現在の鎌倉らしさのモトでもある近代をしらべ、いろいろな手法で伝える活動をしてきました。 今回の企画は、鎌倉市中央図書館... 2011年09月01日 展示