高名な僧・空海が修行中に鎌倉に立ち寄った時の話です。
雲間からさす光に導かれ、空海が山奥深くまで進むと、どこからともなく翁と媼(男女の老人)が現れ言いました。
「我らは千年にわたってこの金仙山(こんせんざん)に住んでいる。ここに不動明王の像を作って人々の迷いを救いなさい」
空海が像を彫って祈ると、再び翁と媼が現れ「村人が困っているようじゃ。水を進ぜよう」と、かたわらの岩を突きました。すると水があふれ、みるみるうちに滝となって流れ落ちました。
以来、水が出る山を今泉山(こんせんざん)と記し、土地は今泉(いまいずみ)と称したと伝えられています。
絵/渋谷雅子
お話/コソガイ
金仙山は神仙の住処であり、翁は不動明王、媼は弁財天であったと伝えられています。
弘仁9年(818)頃、弘法大師空海が彫った不動明王の石像を本尊として、この地に不動堂を開きました。その別当寺(神社を管理する寺)であった円宗寺は、鎌倉時代には真言密教の寺院として歴代将軍や北条氏の信仰を集めましたが、その後は廃絶しました。
江戸時代に再興され、寺号を改めて浄土宗寺院となったのが、現在の称名寺(しょうみょうじ)です。お不動さまを祀る「今泉不動」として親しまれています。
滝は称名寺の境内にあり、男滝と女滝の2つに分かれていることから、陰陽(いんよう)の滝と名付けられています。ただし、その名前は土地の人には馴染みがないようで、「お不動さまの御滝」「称名の滝」などと呼ばれています。
称名寺・陰陽の滝 鎌倉市今泉
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文/コソガイ
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