身代わり地蔵

身代わり地蔵

鎌倉時代のある時、北条時頼夫妻が双六で負けるたびに一枚ずつ着物を脱ぐという賭けをしました。

勝負は夫人の旗色が悪くて、とうとう最後の一枚でも負けてしまいました。困った夫人が日頃から信心しているお地蔵さまに念じたところ、裸のお地蔵さまが双六盤の上に現われました。身代わりとなって窮地を救ってくれたのです。

感謝した夫人は地蔵菩薩像を作らせて、信仰を一層篤くしました。この身代わり地蔵は裸で女の姿をしていて、実物の衣を身にまとっており、今でも延命寺で祀られています。

絵/渋谷雅子
お話/コソガイ

五代執権・北条時頼(1227〜1263年)の正室は毛利季光の娘でしたが、離別して北条重時の娘(葛西殿)を継室として迎えています。他に側室として讃岐局や辻殿がいて、さらに唐糸御前という愛妾がいたとも伝えられています。このお話の夫人が誰に当たるのかは不明です。

当時の双六は盤双六という二人遊びのボードゲームで、バックギャモンの一種です。白と黒のコマを双六盤の上に並べてサイコロの目で進め、先に全ての駒が自分の陣地に入った方が勝ちとなります。

夫人の身代わりとなったとされる延命寺の地蔵菩薩立像は「裸地蔵」とも呼ばれ、木造の裸像に衣装を着せたもので、台座が双六盤になっています。等身大の女性の姿をしたお地蔵さまで、昭和前期の古美術研究家・堀口蘇山は、著書の中でこの像を北条政子像として紹介しています。大正12年(1923)の関東大震災で破損し、後に修復されました。

延命寺(えんめいじ) 鎌倉市材木座1-1-3

延命寺は、時頼夫人の念持仏を祀った地蔵堂が起源とされる浄土宗の寺院です。創建年は不詳ですが、正慶年間(1332~1333年)という説が有力です。

本堂の正面には御本尊の阿弥陀如来坐像、すぐ右横に聖観世音菩薩立像があり、寺宝とされる身代わり地蔵尊は左側に祀られています。鎌倉三十三観音霊場第11番、鎌倉二十四地蔵尊霊場第23番として巡礼されます。

文/コソガイ

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