むかし、江ノ島の弁財天は中国(宋)から来た僧侶、蘭渓道隆に給仕の少年を授けました。
道隆が常楽寺で教えを広めていると、弁財天も教えを請いに行き、その少年・乙護童子がせっせと仕える様子を見て、弁財天はいたずらで童子を女の姿に変えてしまいました。
何も知らない童子はいつも通り仕えていましたが、はた目には道隆が美女を侍らせているようにしか見えません。土地の人々は、口うるさく噂するようになりました。
童子は身の潔白を示そうと、正体を現して白蛇に変化しました。白蛇は常楽寺の大銀杏の木を七巻半めぐり、仏殿わきの色天無熱池(しきてんむねつち)の底を尾で叩きました。それでこの池を「おたたきの池」とも言うそうです。
絵/渋谷雅子
お話/コソガイ
蘭渓道隆(らんけいどうりゅう、1213〜1278)は鎌倉時代中期の禅僧。1246年、弟子とともに宋から来日して臨済宗を広めました。勅号は日本最初の禅師号「大覚禅師」です。
乙護童子は、江ノ島弁財天の眷属、十六童子の筆頭である善財童子の別名です。一説には、美女に変身させられたのではなく、女性と見紛うような美少年だったとのことです。
弁財天が道隆を守護するために、宋からの船の中へ迎えに遣わしたとも、道隆が江ノ島に参籠した時に授けたとも言われています。
また、この池で乙護童子が道隆の衣類を洗濯して投げると、宙に留まって乾いた、という伝説も残されています。
常楽寺(じょうらくじ) 鎌倉市大船5-8-29
三代執権北条泰時が、妻の母の供養のために建てた粟船御堂(あわふねみどう)が寺の始まり。常楽寺という名は泰時の法名から取って付けられました。
蘭渓道隆は、五代執権北条時頼の招きでこの寺に住み、禅の道場を開きました。その後、道隆は建長寺を開山し、常楽寺は「建長の根本」と言われています。
文/コソガイ
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