斉田地蔵(さいたじぞう)

鎌倉幕府5代執権・北条時頼の家来に斉田左衛門という武士がいました。左衛門は無実の罪で処刑されそうになりましたが、首切り役人が振り下ろした刀は折れ、何度やっても切れません。

調べてみると、信心深い左衛門は小さな地蔵の像を髪の中に納めていました。地蔵には刀キズができています。人々は恐れ、斉田左衛門は助かりました。それを感謝して像を心平寺のお地蔵様の中に納めました。

斉田地蔵

絵/渋谷雅子
お話/コソガイ

心平寺・斉田(済田)地蔵

建長寺が建つ前、巨福呂谷の奥は地獄谷と呼ばれる処刑場で、罪人の鎮魂のために地蔵菩薩を祀った心平寺という仏堂がありました。一寸八分(約5cm)の小さな斉田地蔵は、心平寺本尊の地蔵菩薩の頭部に納められていたものです。

時が経ち建長寺が開かれると、斉田地蔵は建長寺ご本尊の胎内に安置されました。また、心平寺地蔵も建長寺に移され、仏殿のご本尊に向かって右側の千体地蔵に囲まれた中にあります。

その後、斉田地蔵は取り出して別に保管しており、11月の宝物風入で拝見できるそうです。ご本尊胎内には代わりに模造品が納められています。

鎌倉二十四地蔵尊霊場の第九番・心平寺地蔵尊、第十番・済田地蔵尊として、巡礼に訪れる方も多く、建長寺受付前の朱印所にて御朱印をいただくことができます。

文/コソガイ

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