昔話

建物・情景

光触寺 塩嘗地蔵

画家・伊東雅江さんの2017年1月の「鎌倉カレンダー」より。鎌倉駅から金沢八景方面行きのバスに乗り「十二所」バス停で下車、信号を右に渡って細い道を右方向滑川沿いに進むと、光触寺があります。開基は一遍上人とも伝えられる時宗のお寺で、運慶作の立...
民話・伝説

建長寺のたぬき和尚 その2

むかし、建長寺の裏山に一匹の古狸が棲み、お寺から飯をもらっていました。建長寺が三門を建て直すと聞いて、たぬきはお世話になったお礼にと、建長寺のお坊さんに化けて托鉢して寄付を集める旅に出ました。町や村をまわると、人々は丁重に迎えて、志のお金を...
民話・伝説

身代わり地蔵

鎌倉時代のある時、北条時頼夫妻が双六で負けるたびに一枚ずつ着物を脱ぐという賭けをしました。勝負は夫人の旗色が悪くて、とうとう最後の一枚でも負けてしまいました。困った夫人が日頃から信心しているお地蔵さまに念じたところ、裸のお地蔵さまが双六盤の...
民話・伝説

江ノ島 五頭龍と弁財天のお話

今回のお話は以前紹介した「五頭龍(ごずりゅう)」に英訳を付けて再構成したものです。江ノ島 五頭龍と弁財天のお話Eno-shima,Tale of Gozuryu & Benzaitenむかし鎌倉の湖に、5つの頭を持つという五頭龍が住んでいま...
民話・伝説

斉田地蔵(さいたじぞう)

鎌倉幕府5代執権・北条時頼の家来に斉田左衛門という武士がいました。左衛門は無実の罪で処刑されそうになりましたが、首切り役人が振り下ろした刀は折れ、何度やっても切れません。調べてみると、信心深い左衛門は小さな地蔵の像を髪の中に納めていました。...
民話・伝説

乙護童子(おとごどうじ)

むかし、江ノ島の弁財天は中国(宋)から来た僧侶、蘭渓道隆に給仕の少年を授けました。道隆が常楽寺で教えを広めていると、弁財天も教えを請いに行き、その少年・乙護童子がせっせと仕える様子を見て、弁財天はいたずらで童子を女の姿に変えてしまいました。...
民話・伝説

眼医者の地蔵

大船の旧鎌倉街道の中ノ道沿いに離山というところがあります。三つの小山が南北に並び、北から腰山、長山、地蔵山といいました。その地蔵山の頂上に、「富士見地蔵尊」というお地蔵さまが立っていました。ある時、蜂に目を刺されたカラスが痛がって泣いている...
民話・伝説

散在ヶ池(さんざがいけ)の大うなぎ

むかし、今泉の散在ヶ池には大うなぎの主が棲んでいると言われていました。その今泉村になかなか子宝に恵まれない長者がおりました。長者夫婦は、「どうか子どもをお授けください」と、近くの白山神社の神様に、毎日熱心にお祈りしていました。するとある晩、...
民話・伝説

梶原の施餓鬼会(せがきえ)

建長寺では、供養されない死者に施しをする法要「施餓鬼会」を7月15日に行います。むかし、開山の大覚禅師が施餓鬼会をしたところ、一人の武将が終わってからやって来て、大変残念そうでした。禅師は不憫に思って声をかけ、もう一度、供養を施しました。武...
民話・伝説

七里(しちり)の蛇神

むかし、七里ヶ浜の田辺が池には大蛇が住んでいると言われ、たいそう恐れられていました。まわりでは困ったことがときどき起こって、そのたびに村人たちは「蛇神の祟りだ」とうわさしました。ある日、この池のほとりに農夫が自分の牛にやる草を刈りにきました...
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